花理論についての個人的見解
こんばんは!hyouです!
タイトルにも書いてる通り今回は花理論について話したいと思います。
この記事は一晩で書いてますから書き漏らしがあるかもしれませんし、あくまで個人的見解ということを考えて書いています。
ペンスピナーからしたら「そもそもお前誰やねん。」って言う人が大半かもしれませんが、それを念頭に入れてお読みいただけたら嬉しいです。
1.花理論の概略
花理論は私の知る限りあいりさんが発祥やと思います。
花理論は簡単に言うと「表現力」や「演技力」であり、私の思う「個性」と区別されるべき考え方です。
「個性」というのは、その人が生来持っている表現であり、それは意識下でも無意識下でも発揮するものです。もうちょっと感覚的に言うとその人に染み付いた手癖や表現といったものです。
しかし、ここで「花」というのはもっと作為的に、いかにして表現をするか、すなわち、いかにして化粧を自分のペン回しに施すかといったものです。
つまり、「個性」と「花」の違いは作為的か否かという感じやと思います。
詳しくはあいりさんのブログ見てください。
2.花理論についての意見
さっそく、花理論についての個人的意見を申させていただくと、
花をつけろ!!
というだけのものです。花理論自体、結構有名ですし、もう十分自覚されている方もいると思います。
もちろん、花不足での美しさはあると思います。あいりさんも花不足も美しさが洗練される一つの手だと言ってます。しかし、私はみんながみんなそれをしすぎると、ペン回しが画一化され、色彩が褪せ、味気ないものになっていくと思います。それに、つけれるけどつけないというのと、つけれないのでは前者の方が良いでしょう。
花の大切さを感じてる人で
「そんなん分かってるけど、どうやって付けたら良いんだよ......」
っていう声が大半やと思います。今日において、花不足が巷で言われまくっていますが、かくいう私も花が不足してます。てか私も同じこと思ってます……。
なので今回はいろいろな人と話し合って出た考えや、私なりに考えた花のつけ方を共有出来たらと思います。あくまで一意見なので参考程度に......。
2.1コリアンの動画を漁る
これは結構オーソドックスな方法やと、自分では勝手に思ってます。
コリアンに限らず、日本スピナーでもいっぱい花がある人がいます。
例えばoutsider、agut、key3、bonkura、Makin、ayatori
といった人たちが色濃く花を有してると思います。個人的な好みはagutです。
もう少し最近のスピナーを挙げると
ebanさんやhashさん、ayanoさんあたりかなって思います。他にもいっぱいいますが、ぱっと思いついた人はこんな感じです。
コリアンで花強強勢はubobub、GPC、白龍あたりかなって思います。
そして、なぜコリアンの動画を見ると花が身につくのかというと、花って言うのは土台の設計だからです。すなわち、色々な花がある人を見ることは、花という土台の設計図を盗み見することができるということであるからです。
私たちは設計図を好きに使うことができます。部分部分で活用したりするのもいいですし、色々組み合わせたりするのもいいでしょう。
しかし、建築様式が国や風土によって異なるように、花も当人の手やスタイルと相談する必要があります。つまりいたずらに動画を見漁っても、映えない変な癖がついてかえって悪影響である可能性もあるということです。
思うに、ここらへんは考えてもしゃあないので、自分がビビっと来た人をアングルを考えたりしながら真似て見たりするのが良いと思います。
不合理に身を任せてこそギャンブルってアカギも言ってましたし。
2.2花のことを考えず取り敢えず完成度を極める
一見花を身に着けるのを放棄しているように見えますが、これも花習得に近づくと思います。なぜなら、完成度を高めると、自由度が増えるからです。
思うに、花の主な構成要素はペンのリズム、手の形と手全体の軌道であると思うからです。ペンの通る軌道というのは結構決まってるもので、たかが知れてます。(もっと正しく言うには、ペンのリズムが、ペンの軌道の上位概念であるかもしれません)
完成度を高めると、その3つが自由に制御できるようになります。
それらを色々ぐちゃぐちゃ組み合わせて試してみると「これええやん!」みたいなのも見つかるかもしれません。
2.3色々な芸術に触れる
これはおまけ的な方法です。でもおまけが興味あるものやったりすることって多いですよね。これも結構面白い方法やと思います。
余談でもう少し詳しく話しますが、なにも花というのはペン回しだけに限った話だけではないと思います。音楽、文学、絵画といったものにも花があると思います。
例えば、三島由紀夫の貫禄と色彩に富んだ文章の触れたり、米芾という書道家のねっちょりした書に触れてみたりすることで、色々な花の設計図を自分の血脈に流し込むというのもいいと思います。いったら、感性を磨くみたいな感じです。
これが結構な劇薬になる可能性もあるかも........?
3.愚痴を含んだ余談
ここでは、花不足が生まれた原因について考察します。結構個人思想強めなキショめな話やと思います。人によっては不快になるかもしれません。暇でない限り読む価値ないです。
一つは大量消費大量生産の風潮です。これはもともと僕の考えでなく、誰かスペースで話してくれてて、確かになーっておもいました。
この話を僕なりに曲解させると、大量消費大量生産の手っ取り早く効果的な方法は、消費者の快楽物質を刺激することです。
それは快楽の質というのは度外視で、例えば、最近の音楽でもそういう傾向が強いと思います。最近流行ってる曲というのは、やたらと変拍子を使い、快楽重視の重低音を響かせ、脳を使わず解せる直接的な安っぽく感動的な歌詞を書く、そういったものが横行している気がします。
もちろんそうでない曲もいっぱいあります。でもそういったものが多い気がします。
これは完全に関係ない愚痴ですが、もはや音楽を聴かず、誰が歌ってるとか、どういう経緯だとか、そういう背景的なものに執着している気がします.......。
そういう、質を度外視した快楽が横行することによって、私たちの感性が育たなかった可能性もあると思います。
何度も言いますが、あくまで私の愚痴なのであまり本気にしないでいただけると嬉しいです......。
二つはインターネットの台頭です。
思うにインターネットの台頭は、一部で出る杭打たれる風潮を強めました。
ツイッターとかでも晒しを見ない日はあまりないですよね。僕はTLをエッチな女の子で支配させてるのであまり見ませんが、それでも流れてきやがります。
花取得においてはどうしても「こいつダセェ!」ってなることもあると思います。花というのは言うなら灰汁みたいなものですから.......。
昔の癖が強い歌い方したミュージシャンなんて今出たらめっちゃ笑われると思います。
インターネットの匿名的な冷笑の文化が、人の向上心を奪ってる部分があると思います。
以上、色々話しましたが原因とか考えても、結果として花不足があるのでどうしようもないんやと思います。昔はガビガビの音質で変な歌い方してた歌い手がそこそこいたのに、今はみんなお上品に歌ってますから、花不足というのはもはや、この世代に蔓延るものなのでしょう。
ここまで、私の自己満に付き合ってくださった方、ありがとうございます。
「なんだこいつキメェな!」と思った方はごめんなさい。
4.まとめ
花って言うのはあるかないかで言ったらある方が良いと思います。
やっぱり花が無かったらおもんなくないですか........。花不足ってなんか詰め込み教育の賜物って感じで嫌なんです。花不足は画一化と同義な気がして嫌なんです。
私は「花理論」というのが好きです。なにしろ、それまで漠然と感じていたことが、「花理論」という言葉で表象されたのですから、それまでのモヤモヤがとれたというものです。
道行く女の子を見ても、お人形さんみたいにしてて、ナチュラルな感じが無くて、「う~ん」と思っていたら一筋の光が現れたのです。
我々は花不足というテーゼにおいて、花理論というアンチテーゼを手にした!
もはや、これはペン回しに収まる話ではない!
今や、若者のほとんどが花に無自覚である!
花の不足は情熱の不足だ!花の不足は感性の不足だ!
今こそ情熱のための革命の時!
今こそ花不足と花理論の両立によるアウフヘーベンの時!
花万歳!花理論万歳!あいりさん万歳!
俺は、俺こそが真のあいりきっずだ!!!!!!!
ご愛読ありがとうございました。