自分に合うペンを考えた方が良いかもしれないという話
こんばんは!hyouです。
最近ええキーボード買って浮かれててちょっと気も向いたので、書いてみようと思います。徒然なるままに。
さて、今日の話ですが、「長すぎるペンは回さない方が良いかも」ということを最近思ったので話します。
でもこれは普通に自分の好みって言う説も捨てきれません、そっちの方が確率的には多いかも。
僕の話とかあまり気にしない方が良いかもです。一昔前は構成厨だったのに、今は大して大事じゃないな~とか思ってるので。マジで俺の言うこと間に受けたごめ!
でもせっかく書いたので暇つぶしに読んで言ってもらえたら嬉しいです!
ちょっと前、spinfest2025を見て、ペンが長い人多くね?って思いました。そして、ペンが長いとどうしてもザコテっぽく見えてしまう気がしてなりません。その理由は、ペンが長いと手の制御が行き届かなくなり、ペンを回しているというよりも、ペンに回されているという状態になってしまいがちだからでしょう。
もちろん、ペンが長くても上手い人はいると思います。でも忌憚なく言えば好みではない場合が多いです。
ペンが長くても上手いってなるのは、詩的な言い方ですが、ペンを回しているのでもなく、ペンに回されているのでもなく、ペンが回っているという状態に限られるでしょう。
もっと具体的に言えば、例えば、手が角ばっている人とかが長いペンを回すと、ペンの統制を失い、円軌道も角ばって綺麗にならない気がします。手が角ばっている人は脱力よりも、力んでいる状態で回すことによって、かっこいいと思える効果的な回しを実現できると思います。長いペンの軌道をきれいにするのはある程度の技術と才能(主に手かも?)が必要ですので、力んでいるが、ペンの統制を失っているという状態になると、一体感が損なわれてザコテ感が生じるのかもしれないです。
逆に長いペンを流してもあまり違和感を感じない人は、しっかりと脱力が板について、きちんとペンが回っているとか、力んでも、長いの軌道をペンをしっかり統制できている人とかそういう人になります。
あとは単純にアングルの問題という部分もあるかもしれないです。何か手が角ばってて、なおかつ円軌道が映えてないとあまりしっくりこない。
とにかく、私の言いたかったことは、ザコテ感が拭えないという人は一回自分が使うペンについて、考えてみるのもいいかもという話でした。きっと長いペンを回すにも短いペンを回すのも、合う合わないがある。そして、長いペンを回すのは短い場合よりも少し難しいものになるかもしれない思いました。
取り敢えず言いたいことは大体言えた気がするのでここらへんでお開きしようと思います。
なんか結論とか文章の構成とか適当ですが、そこはまあ、徒然なるままなので.......。
それではまた!
ペン回し足し算引き算論について
こんばんは、hyouです。
最近の俺はクールです。LUNA SEAとか聞いちゃいます。大学がおもんなすぎて女子を崇拝するか、誰かの悪口を言うことを生業としてます。
自分語りはこのくらいで、あいりさんの足し算論引き算論の話を聞いて感想言いたいと思います!言いたくなったので。また読んでない人は読んでください。以下の記事です。
1.引き算やめるべき論についての自分の立場
まず結論、僕は概ね賛成です!これは僕が思想面であいりキッズ(花理論含めて)なのもありますが、理由もちゃんとあります。
それは、引き算ペン回しは行きつくゴールが決まっていて、みんな同じような回しになるからです(この意見自体みんなと同じようなものやんけぇ!っていう突っ込みはヤメテ)。
ホンマ凡庸なことしか言いませんが、そもそも映える技なんて人によって違うわけで、人の助言を信頼しすぎると自分の回しがおそらくみんなと同じ感じになっていってしまうと思います。
ですが、概ねとわざわざつける必要があるのは、もちろん足し算が絶対というわけではなく引き算もその分必要だと思うからです(あいりさんも引き算の必要性については認識してると解釈してます)。
引き算はやはり成長に直接つながるものだと思います。わざわざ無駄なことするよりも、それ辞める方が効率が良い!hashさんも「自分に合わん技はせんでいい、自分も捨てた技あるし、ペン回しはいらん技捨てられるのも魅力」みたいなことをどこかの配信で言ってた気がします。間違ってたらすません。
なので、結局足し算引き算どちらも大切。
「凡庸なことしか言わんやん!しょーもな!」
って言う声がありそうですが、結局無難な意見になると思います。
では、この足し算論の意義は?
2.足し算論の意義
結局足し算だけじゃなく引き算もする必要あるから、こんなこと言う意味ないじゃん!ってなるかもですが、僕はペン回しにおいて「足し算」と「引き算」という分節化されたことに意義があると思います。
どういうことかというと、自分のペン回しを分析するとき、自分のペン回しの何がいけないんだろう?と思考するとき、言葉を持たなかったら、自分の良くない部分、ここでは足し算引き算どちらかに傾倒し過ぎているということに気づきにくいということです。
言葉によって直観を表象させることによって、より具体的な改善が図れると思います。
足し算引き算論自体、ビジネスとかで聞いたことある気がしますが、それがペン回しという具体性を帯びて観測できること、それはもはや人生レベルで豊かになるものだと言っても過言ではない気がします。僕がなぜパイパンを嫌うのか、それはパイパンがあまりに令和ペン回しで、非人間的で、東洋人なのに西洋的であるからと認識しました。剃るな、引くな、残せ。
言語はとても大切。僕は人類史上最大の発明やと思ってます。というかもはや人類史はここから始まった。
なので、このあいりさんの言語化はペン回しについて綜合的な判断するもの、すなわち、知識の拡張をもたらすものだと考えてます。
3.なぜ引き算が流行するか(暇な人は読んで)
すこし蛇足ですが、しかしこういうの話したい人なので話します。
なぜ引き算が流行するかですが、それは現代人が効率を求めすぎた結果やと思います。
これも凡庸!
ですが、なら、なぜ現代人がこんなに効率を求めるのか?ここからは結構独自な考察ですが、スマホの登場と、学校と、上世代とそれに応える我々(令和世代)の冷笑主義に起因すると思います。
まず、スマホに関してですが、スマホは人を過度に興奮させるものやと思います。スマホのせいで現代人は常に情報に曝され、ブルーライトは目をパキパキにさせる、なのに手放せない、これは病気やと思います。
我々は美しい田園風景を直接見ずに、二次元で済ましてしまう。縁側で寝転んでぼーっとするより、なにかをしていないと気が済まない。
さらにその二次元の大量の情報はもっと高い理想をありありと我々に突き出してくる。これはYoutubeではワカッテTVとか(僕も楽しく見てました。別にそれ自体悪いことじゃない)、自分よりめっちゃ顔ええ人とか。
結局僕たちはドーパミンで働かされて、暇を享楽しないようになりました。だから非効率を切り捨てる。
次に、学校ですが、常に何かを点数化されたり、他者と比較されたりすることも効率を求め始める原因だと思います。というかこれは、直接、Z世代が引き算に傾倒する原因にも思えます。
最近の若者はなんでも優劣で語りがちだと思います。by最近の若者
やれ世の中にはもっとすごい人がいるだの、tier表だの......でもtier表は俺もめちゃします、てか俺よりしてる人多分おらん。
でも優劣で物事を語ることは、物事を一次元に無理やり規定することで、多面性を放棄する恐れがあると思います。
まあ、引き算論に戻りまして、常に他者との競争に曝されている我々に、無駄なことをしよう!などという発想は来ません、どうせ怒られるし疲れるから。
学歴のインフレもこれに関係すると考えます。
最後に冷笑主義についてですが、SNSなんかは冷笑主義の象徴です。我々が我々の足を一番引っ張り合ってる。上の話と重複しますが、常に他者と比較されて、そのうえで冷笑されたら、無駄なことなんてする訳ない。無難を極めるに決まってます。
例えば、最近の漫画とかって「こいつなんでこれしたん?w初めからこうしとけばいいやんw」みたいなことってあまりなくないですか?
昔はもっと「初めから巨大化して戦っとけよw」とか「なんでわざわざ自分の能力喋るねんwあと一護は早く卍解しろよw」みたいなのいっぱいあった気がします。
最近は呪術廻戦とか、葬送のフリーレンとか、無職転生とかもちろん面白いんですが、ここは実は云々の理由があって~みたいなのが全部用意されてる!
もちろん、あるに越したことはないんですが、そういうのに我々冷笑主義が少し影響が出てるのかな~って思います。上の世代が無駄なことが多かった分、今の人等はそういうのを避ける嫌いにあると考えます。
他にもいろいろありそうですが、今ぱっと思いついたのはこれくらい。まあ蛇足なんで
4.我々はいかにすべきか
まあ本題に戻りまして、「足し算が足りないのは分かってるけどどうしたらええんだよ!」みたいになると思います。俺もなってます。
もう上級者の人は花理論と同様にしましょう。自分の花理論についての意見は以下に貼ります。
でもぶっちゃけ花が得られるのは結構運もあると思います。自分に迎合する古典との邂逅とか、自分の手のこととかで.......。
でも上級者はむしろ足すだけやし、足すにしても何を引くかを明確に分かるから、全然遅くない気がする。むしろ適切まである。
まあ気楽行きましょ!てか、もはやそれがあいりさんの足し算論の神髄な気がします。
そして初級者から中級者の方は早い段階から自分をよく観察して、自分のペン回しを他人に流されすぎず、「でもこの技やってるときめっちゃ楽しいし!」の精神を忘れず楽しくいきましょう!
まあ肩の力抜いてぼちぼち行きましょ~
5.おわりに
正直「4.我々はいかにすべきか」というのは僕もあまり分かってません。頑張って絞り出して無難なこと書きました。まあこれからこうしたらええんじゃね?って言うの見つけたらまたまた発信するかもです(3.の部分書きたかった欲が大きい!)
今回の話で個人的一番の恩恵は僕がどういう女性が好みかが、より明細に認識できるようになったことです。
芸術家ってのはなぁ、優れた批評家であるとともに、聡明な変態である必要もあるんだよなぁ~
まあ気楽にいきましょ。僕の座右の銘は「ぼちぼちいこや」なので!
ほなまた!
JC予選の感想
こんばんは!hyouです。
なんか怖そうなスピナーたちがこぞってJCについてブログ書いてはるので負けじと書いてみます!
と言っても特に言いたいこととかはないかもしれないです。取り敢えず自分のfsについて
FS1
こっちが本命のFS。でもあんまり受けはよくなかった。たぶん「この部門に入るぞ!」とかいう明確なところもなく、それに実力が伴ってなかったのが原因。CLで予選通過できたので今度は狙いを絞って頑張りたい。でも色々なところで言われてるけど、lostさんの好みが良くわからないところもある。
個人的にはこのfs悪くはないとは思っているけど、見返してたら「まあ平凡やな」で済んだ。もっとアグレッシブに生きたい!最近気づいたことだけど構成とかあんま練りすぎんでええ。
FS2
おまけ。正味まあ入ればええやぐらいの感覚やったから特に言う事なし。二兎負うものは一兎も得ずとはこのこと。FS1は予選通過したから一兎は得たけど。
二つのfsまとめて、なんかもっとシュバババってやってガーーーーーーーーーーーっていう感じでFS組んだらええんかもな~って思いました。考えすぎはよくないかもしれない。
僕てぇんの才能を活かすにはもっと適当にやった方がええかも!
でもアングルは一考の余地あり、どなたかアドバイスあればください(アングル以外にもあったらほしいです!)。
審査について
CLの審査がちょっと批判が多い印象.......kysOさんはCLじゃねえって言うのが主な感じ?あと9,10の枠余るんやったらもっと入るべきfsあったやろ!みたいな感じかな?あいりさんとかが俺とかyrさんの二個目のfs入れてよかったんじゃねみたいなこと言ってくれてた。
いいぞ!あいりさん!!
まあ一人各項目一個とかなのかな?そこのとこあんま分かってないからあんまり僕はなんも言えないです。まあ一個通してもらったし、2個目のfsはあんまり凝ってなかったから正直そんな悔しさとかないです。
この考えは雑魚の思考なのかもしれない........。
kysOさんはよく分からん.......。初めbonkuraさんとかのノリでCL判定かなっと思ったけど大会の審査要綱には「コリアンスタイルからの系譜や、オールドスクール(古風)な雰囲気を全く感じられないものは低評価または審査対象外とします。これは技そのものだけでなく、ペンの選択や画質/環境も含めた印象によって判断されます」とか「VPやコムサをはじめとするコリアンスピナーが使用していたペンを使うことが望ましい」とか書いてるし......。
まあ前者に関してはコリアンスタイルだけでなくコリアンスタイル「や」って書いてるし、後者の方もあくまで「望ましい」ってだけだし.......。
まあそれでもそれでありやったら結構なんでもありな気がしてくるしやっぱりこれはちょっと失敗と言わざる負えないように思った。
他にもあるかもしれないですが、取り敢えずこれだけ........。そろそろ書くのつかれてきたんで.......。
まとめ
今回のJCは結構前衛的な形式でやってるからちょっと批判が多い部分もあるのかもしれないと感じた。でもまあ、なんやかんやで批判という形でペン回しが盛り上がってるのもなんやかんや楽しい!!僕はCLで通していただいたんで、楽しめてるんであまり文句とか言う気はないです。決勝で落ちたら言います。
それまでは楽しみます!みんなもせっかくだし楽しもうぜ!!
あとJCの決勝の動画色々なスピナーにアドバイスとかもらおうと思ってるんですけどこれって倫理的にOKなんでしょうか.......。まあやばかったら誰か言ってくれるでしょう!
それではまた!
花理論についての個人的見解
こんばんは!hyouです!
タイトルにも書いてる通り今回は花理論について話したいと思います。
この記事は一晩で書いてますから書き漏らしがあるかもしれませんし、あくまで個人的見解ということを考えて書いています。
ペンスピナーからしたら「そもそもお前誰やねん。」って言う人が大半かもしれませんが、それを念頭に入れてお読みいただけたら嬉しいです。
1.花理論の概略
花理論は私の知る限りあいりさんが発祥やと思います。
花理論は簡単に言うと「表現力」や「演技力」であり、私の思う「個性」と区別されるべき考え方です。
「個性」というのは、その人が生来持っている表現であり、それは意識下でも無意識下でも発揮するものです。もうちょっと感覚的に言うとその人に染み付いた手癖や表現といったものです。
しかし、ここで「花」というのはもっと作為的に、いかにして表現をするか、すなわち、いかにして化粧を自分のペン回しに施すかといったものです。
つまり、「個性」と「花」の違いは作為的か否かという感じやと思います。
詳しくはあいりさんのブログ見てください。
2.花理論についての意見
さっそく、花理論についての個人的意見を申させていただくと、
花をつけろ!!
というだけのものです。花理論自体、結構有名ですし、もう十分自覚されている方もいると思います。
もちろん、花不足での美しさはあると思います。あいりさんも花不足も美しさが洗練される一つの手だと言ってます。しかし、私はみんながみんなそれをしすぎると、ペン回しが画一化され、色彩が褪せ、味気ないものになっていくと思います。それに、つけれるけどつけないというのと、つけれないのでは前者の方が良いでしょう。
花の大切さを感じてる人で
「そんなん分かってるけど、どうやって付けたら良いんだよ......」
っていう声が大半やと思います。今日において、花不足が巷で言われまくっていますが、かくいう私も花が不足してます。てか私も同じこと思ってます……。
なので今回はいろいろな人と話し合って出た考えや、私なりに考えた花のつけ方を共有出来たらと思います。あくまで一意見なので参考程度に......。
2.1コリアンの動画を漁る
これは結構オーソドックスな方法やと、自分では勝手に思ってます。
コリアンに限らず、日本スピナーでもいっぱい花がある人がいます。
例えばoutsider、agut、key3、bonkura、Makin、ayatori
といった人たちが色濃く花を有してると思います。個人的な好みはagutです。
もう少し最近のスピナーを挙げると
ebanさんやhashさん、ayanoさんあたりかなって思います。他にもいっぱいいますが、ぱっと思いついた人はこんな感じです。
コリアンで花強強勢はubobub、GPC、白龍あたりかなって思います。
そして、なぜコリアンの動画を見ると花が身につくのかというと、花って言うのは土台の設計だからです。すなわち、色々な花がある人を見ることは、花という土台の設計図を盗み見することができるということであるからです。
私たちは設計図を好きに使うことができます。部分部分で活用したりするのもいいですし、色々組み合わせたりするのもいいでしょう。
しかし、建築様式が国や風土によって異なるように、花も当人の手やスタイルと相談する必要があります。つまりいたずらに動画を見漁っても、映えない変な癖がついてかえって悪影響である可能性もあるということです。
思うに、ここらへんは考えてもしゃあないので、自分がビビっと来た人をアングルを考えたりしながら真似て見たりするのが良いと思います。
不合理に身を任せてこそギャンブルってアカギも言ってましたし。
2.2花のことを考えず取り敢えず完成度を極める
一見花を身に着けるのを放棄しているように見えますが、これも花習得に近づくと思います。なぜなら、完成度を高めると、自由度が増えるからです。
思うに、花の主な構成要素はペンのリズム、手の形と手全体の軌道であると思うからです。ペンの通る軌道というのは結構決まってるもので、たかが知れてます。(もっと正しく言うには、ペンのリズムが、ペンの軌道の上位概念であるかもしれません)
完成度を高めると、その3つが自由に制御できるようになります。
それらを色々ぐちゃぐちゃ組み合わせて試してみると「これええやん!」みたいなのも見つかるかもしれません。
2.3色々な芸術に触れる
これはおまけ的な方法です。でもおまけが興味あるものやったりすることって多いですよね。これも結構面白い方法やと思います。
余談でもう少し詳しく話しますが、なにも花というのはペン回しだけに限った話だけではないと思います。音楽、文学、絵画といったものにも花があると思います。
例えば、三島由紀夫の貫禄と色彩に富んだ文章の触れたり、米芾という書道家のねっちょりした書に触れてみたりすることで、色々な花の設計図を自分の血脈に流し込むというのもいいと思います。いったら、感性を磨くみたいな感じです。
これが結構な劇薬になる可能性もあるかも........?
3.愚痴を含んだ余談
ここでは、花不足が生まれた原因について考察します。結構個人思想強めなキショめな話やと思います。人によっては不快になるかもしれません。暇でない限り読む価値ないです。
一つは大量消費大量生産の風潮です。これはもともと僕の考えでなく、誰かスペースで話してくれてて、確かになーっておもいました。
この話を僕なりに曲解させると、大量消費大量生産の手っ取り早く効果的な方法は、消費者の快楽物質を刺激することです。
それは快楽の質というのは度外視で、例えば、最近の音楽でもそういう傾向が強いと思います。最近流行ってる曲というのは、やたらと変拍子を使い、快楽重視の重低音を響かせ、脳を使わず解せる直接的な安っぽく感動的な歌詞を書く、そういったものが横行している気がします。
もちろんそうでない曲もいっぱいあります。でもそういったものが多い気がします。
これは完全に関係ない愚痴ですが、もはや音楽を聴かず、誰が歌ってるとか、どういう経緯だとか、そういう背景的なものに執着している気がします.......。
そういう、質を度外視した快楽が横行することによって、私たちの感性が育たなかった可能性もあると思います。
何度も言いますが、あくまで私の愚痴なのであまり本気にしないでいただけると嬉しいです......。
二つはインターネットの台頭です。
思うにインターネットの台頭は、一部で出る杭打たれる風潮を強めました。
ツイッターとかでも晒しを見ない日はあまりないですよね。僕はTLをエッチな女の子で支配させてるのであまり見ませんが、それでも流れてきやがります。
花取得においてはどうしても「こいつダセェ!」ってなることもあると思います。花というのは言うなら灰汁みたいなものですから.......。
昔の癖が強い歌い方したミュージシャンなんて今出たらめっちゃ笑われると思います。
インターネットの匿名的な冷笑の文化が、人の向上心を奪ってる部分があると思います。
以上、色々話しましたが原因とか考えても、結果として花不足があるのでどうしようもないんやと思います。昔はガビガビの音質で変な歌い方してた歌い手がそこそこいたのに、今はみんなお上品に歌ってますから、花不足というのはもはや、この世代に蔓延るものなのでしょう。
ここまで、私の自己満に付き合ってくださった方、ありがとうございます。
「なんだこいつキメェな!」と思った方はごめんなさい。
4.まとめ
花って言うのはあるかないかで言ったらある方が良いと思います。
やっぱり花が無かったらおもんなくないですか........。花不足ってなんか詰め込み教育の賜物って感じで嫌なんです。花不足は画一化と同義な気がして嫌なんです。
私は「花理論」というのが好きです。なにしろ、それまで漠然と感じていたことが、「花理論」という言葉で表象されたのですから、それまでのモヤモヤがとれたというものです。
道行く女の子を見ても、お人形さんみたいにしてて、ナチュラルな感じが無くて、「う~ん」と思っていたら一筋の光が現れたのです。
我々は花不足というテーゼにおいて、花理論というアンチテーゼを手にした!
もはや、これはペン回しに収まる話ではない!
今や、若者のほとんどが花に無自覚である!
花の不足は情熱の不足だ!花の不足は感性の不足だ!
今こそ情熱のための革命の時!
今こそ花不足と花理論の両立によるアウフヘーベンの時!
花万歳!花理論万歳!あいりさん万歳!
俺は、俺こそが真のあいりきっずだ!!!!!!!
ご愛読ありがとうございました。
完成度の正体
はじめまして。hyouです。
今回は完成度について個人の見解を話します。
文章が拙い部分があるかもしれませんが、ご了承をば。
追記
後述するebanさんとhashさんの説明を変更しました。2021 5/6
完成度について
今回は完成度について話します
まず完成度と安定度について区別しておきます。
安定度は技が失敗しないかであり、完成度はペンが安定して回っている上で、手の形が意識できていたり、ペンが回っているかであったり、最小限の指の動きでペンを回せているか等が挙げられます。ペンが回っているかというのは言語化するのは少々困難なのですが、簡潔に言うと、ペンを持っている時間が短く、よく回っているということであります。
完成度の正体
単刀直入に言いますとズバリ
- 円軌道が綺麗か
- 指の形
- 始動のペンの弾き方
- 遠心力が上手く使えているか
になります。円軌道の美醜と手の形は独立して、ほか二つは絡めて考えましょう。それでは、解説していきます。
円軌道
そのままの意味です。綺麗にまわしましょう。練習法についてはkudoさんの「チャージ【攻略編】」を読みましょう。円軌道のついて大体のことは載っています。できるだけ色々な軸でしておいた方が良いです。
指の形
これも特に語ることはありません。自分の理想に近づけるために上手い人を模したり、自ら矯正したりしましょう。
ペンの弾き方と遠心力
これらの使い方によって受ける印象が左右されます。因みにこれら二つを極めるという器用なことをするのは難しいです。なぜなら、しっかり始動で弾けば遠心力をかける必要もなく、遠心力を加えると始動で弾く必要もないからです。しかし、そこに完成度のエッセンスがあります。百聞は一見に如かずです。例をご覧ください
例
ebanさんは遠心力を中心に使いまわしています。こうすることで作り物のような美しさが表せます。
ayanoさんは遠心力を強く使っています。こうすることで、ぬったりとした回しが表現できます。
hashさんはペンを弾く力を中心に使います。原始的な回し方ができます。
お互いを両立して使っています。お互いの良さを取り込んだような回しができます。
例はこれくらいにしておきましょう。ところで皆さん、違和感を感じましたか。「hashさんとayanoさん遠心力使ってるけど印象違くね?」そうです。そこに前述した完成度のエッセンスがあるのです。おそらくhashさんやayanoさんは決して弾くことが下手だからああいう回し方をしている言う訳ではありません。できる上でしていると思います。hashさんは弾く力も使い、ayanoさんはあまり使っていないのです。つまり、私の言うエッセンスとは弾き方や遠心力の使い方熟練度を数値で表したときに、
数値の底上げをすること
です。また、これらの数値の振り分けを自らの理想に近づけると
個性の取得
にもなりえます
練習法
軽いペンでゆっくり綺麗に回しましょう。
こうすることで、弾くときの力の抜き方や遠心力の加え方が分かります。
おわりに
完成度については以上です。なんか気取ったような文章になった気がします。意見があれば私に是非言って欲しいです。私がたどり着いた考え方はこうなりました。
知らんけど
+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚